離脱症状、絶対に脱出ブログ

精神疾患で薬を服用。快復に向かうも今度は離脱症状に苦しむ。絶対に脱出して元気になる、なりたい人の希望になりたいブログです。

悪。

コンです。

 

元気だ。少しストレスが和らいだ程度で完全に良くなった。今日で無事(?)断薬から9ヶ月が経った。丸一年くらい平気で体調が悪くて、わけがわからなかったけど、これからもっと良くなる気がする。

 

動悸やパニックはまだ毎日のようにあるけど、その症状の重さは全く違う。軽くなった。問題はストレスへの脆弱性だな。産まれたてくらいのメンタルの弱さ。子鹿レベル。これからは何もかも気にしないことを心掛けよう。

 

必要悪。それについて考える。難しいことはよくわからない。ただ、悪という存在が必要な場合があるということなんだろうな。

 

人ときちんと向き合わないのは悪ではないのだろうか。大切なことから目を逸らして、それが大人のやり方だと開き直るのが正しいのだろうか。そんなことをしていたら、愛想を尽かされると思う。そうなっても何も感じずにやっていけるのだろう。だから自分も割り切って考えられるようになった。

 

とても楽になったよ、自由だから。

 

世の中には悪が沢山あるけど、本当は悪とされないことが本当の悪なんだな。

 

台風、大丈夫だろうか。明日は晴れるといいな。

 

コン

進化。

コンです。

 

天気が良くない。ここのところずっとだ。だけど心は元気だ。

 

大切なものが大切じゃなくなっても、その反対にはいかない日を続けている。まだまだわからないことだらけだ。一見強そうに見える人が、強くないこともあるように感じている。

 

正しいことを正しいと言えなくなってどれくらい経っただろうか。うまくやる、ということを優先し過ぎてうまくやれてない。如何にも日本人らしい発想に嫌気が差す。This is Japanese!色んなことを権限もなく責任を持ってやることは中々難しいことなのだな。

 

最近は新しいコミュニティで、新しい関係作りを頑張っている。首尾は上々。おじさんおばさんに気に入ってもらえるのがとても楽しい。やはり歳上がやりやすいな。

 

今後の目標として、スポーツは最低でも週に1度はやることにする。心身を健康に保つのだ。筋トレも週に1度はやる。なんとなく。食べて、働いて、運動して、遊んで、寝る。それだけを目標にする。

 

動物から学んだんだよ。

 

頭ばかり正常に働いて、脳を酷使して病むことより余程良いことだ。色んなことが動き始めている。

 

今後は歯医者も整骨院も行って。整える。来年には病院の世話にならないくらいになっていたい。そういうのも1つの夢だ。

 

前を向いている。

 

楽しいことがありそうな気がする。人類の進化とはこういうところから始まったのだろうか。新人類になる。もはや何を書いているのかわからないから寝る。おやすみなさい。

 

コン

 

 

脱出?

コンです。

 

ずっと晴れなかった気分が晴れてきた。これはもはや脱出と言っていいくらいの晴れ方。雨だけど。止まないけど。

 

仕事のストレスに解決できそうな光明が見えて、それが少し具体的になって。楽になった。ヤル気も出てきた。

 

やはりストレスから逃げることは大切なんだな。離脱症状ではなくて新たなストレスで病気になるとこだった。完全に解決が決定するまで少し不安だけど、今までよりずっといい。で、それが叶わなければ辞めればいい。きっと頑張れる。叶わなかった時のことは考えない。そうなってから考える。色々調べたことが、今生きるなんて。

 

これももしかしたら一時的なものかもしれないけど、本当に久しぶりに気分が楽になって、少し自分を取り戻した気がする。本来はこうなんだな、と。

 

これを乗り越えられたら、もっといろいろできる気がする。仕事も遊びも人生も。こういうの、躁鬱病って言わないですか。大丈夫ですか。そう。

 

体の調子は悪いけれど、心の調子は悪くない。そんな日に乾杯。薬飲みまくってるから酒飲めないけど。

 

明日にはまた悪くなってるかもしれないけど気にしない。今年中に必ず脱出したい。そして世の中の離脱症状に苦しんでる人に良い報告をして、来年のベンゾの日には必ず何かをしよう。

 

そんな意気込みでもう寝よう。

 

コン

 

 

朝。

コンです。

 

朝は比較的調子が良いことが多い。今日良くないのは少し寒いからだな。気温が下がってきて。秋というよりもう冬のように感じる。個人的には10月より11月が好きだ。12月はもっと好きだ。

 

1日の中では朝が1番好きだ。頭も働くし、日差しも好きだ。調子が良くない日は朝でも悪いけど。

 

今日は朝から悲しいのだ。

 

これを乗り越える方法がわからない。病院に行っても薬を飲まされるだけだ。医療は進歩してるのに何とかならないかな。

 

日曜の朝なんて、起きたらみんな楽しい気分なんじゃないでしたっけ。子供の頃、ビックリマンやゴーストスイーパー美神を見るのが楽しみで、見たらホットケーキを食べて、駄菓子屋に行って、ゲームして、遊んで。時間が足りなかった。朝から楽しかった。

 

親だって、朝から競馬新聞とにらめっこして、パチンコに行ったり映画見に行ったり、楽しそうだった。社会人はみんなそんな感じなんだと思っている。そうはなれないんだけど。まぁでも死ぬわけでもないし。いっか。

 

そういえば友達とも遊んでないな。会社と家の往復。このままじゃ嫌だな。もう少し楽しいことをしよう。よし、前を向いてきた。

 

思えばただ落ち込むだけだったのに、少し前を向こうという気持ちが出てきている。どんなに悲しくても。

 

毎朝、そんな感じで始めてみよう。今日はどんな楽しいことがあるか想像して始めよう。

 

どんな奇跡が起きるかはわからないはずだ。楽しい人生にする。そんなことをこんな悲しい気分でも思えるようになった朝。

 

いや、書き始めは朝から悲しいってだけだったんだよ。この短時間で完全に変わった。また変わるかもしれないけど、変わらないかもしれない。

 

だから毎日生きられるんだな。

 

コン

 

 

どうしても。

コンです。

 

久しぶりに楽しい酒を飲んだ。全く問題はない。寂しくなるのはいつものことだから気にしてない。割と元気で、気分も回復してきてるのがよくわかる。

 

薬が抜けて、体が対応してきてる。今年中には終えたいな。年末はどうやって過ごそう。元気になってきてる。嬉しい。

 

それでもどうしても叶わないことがこの世には沢山あって、もうそれもそれで諦めもついたし、これで良いことにする。

 

どうしてもどうしようもないことはどうしようもないのだ。それなら、人生を楽しめることを沢山考えて、する方がとってもいいのだ。そんなことを考えながら点滴を受けている。風邪くらい平気だと侮った結果、連日点滴を受ける羽目になっている。問題ないよ。良くなる為の行為だから。

 

冴えない気分なのはいつものことだけど、天気が悪い割には冴えなさすぎることもない自分も進歩。そんな週末に何をしよう。

 

映画を観ようかな、また。最近は映画にハマっている。時間も忘れて。ゲームだって今ならできる気がする。どうしてもできなかったことが、できるようになってきてる。

 

この世に自分のことを知ってる人が誰もいないような感覚に陥ることってないですか。

 

ずっとそんな感じだ。寂しいというのとはまた違うような。40近くで独身だとみんなそうなのかな。友達がいないわけじゃない。何かの集まりに参加することだってある。何が寂しいのか。全くわからない。常時繋がっていられる誰かを探しているのだろうか。それはそれで面倒だ。

 

どうしても。ということまでなくなってしまったな。それはそれで生きやすくなるのかもしれない。

 

コン

光明。

コンです。

 

雨。しばらく降るらしい。13日の金曜日だ。幸いなことは雨だからと言って特別気分が落ちるわけではないところだ。晴れても平気で悲しい。でも気にしない。そこんとこよろしく。

 

日常におけるモヤモヤは、思い返せばここ数年ずっとあったわけで。薬をやめて、ストレスに弱くなったことが原因で今年はひどいんじゃないかと気づく。だとしたら、やはり日常のストレスを減らすしかない。という意気込みの退職願だった。やりたい仕事ややりがいのある仕事ができればストレスは軽くなるのかもしれない。今後どうするかはゆっくり考えて、とにかく体を大切にしよう。ヨーグルトでも食べよう。

 

なんとなく、元気になれる気がしている。そんな予兆がある。

 

とにかくそれまで、逃げて逃げて。逃げまわりゃ死にはしない。ストレスから完全回避。

 

今日だって金曜だから、調子が悪くても問題ないのだ。なんとか逃げて耐え忍べば、土日がある。誰にも邪魔はさせないよ。

 

しかし、調子が悪いのは体であって、心ではないな。休めば治りそうだから何の心配もない。これも良い兆候。頭痛いけど。喉痛いけど。しゃっくり止まらないけど。それは関係ないか。

 

離脱症状はどんどん薄らいでいってる。もう少し。もう少し。

 

明日はどんな楽しいことがあるか、楽しみに考えるようにする。

 

ジェイソンが来ようとも。

 

コン

私がいない世界。

コンです。

 

楽しいことがあっても、少しの嫌なことで台無しになってしまうことがある。嫌なことだけど、悪いことじゃなくて、恨む矛先もないことだから、どうしようもない。

 

そんなことが起こっても、その時その時対処すれば良くて、起こらないようにしようとするのが難しいこともあることを理解した方が良い気がしている夜。

 

自分のいない世界を考えたことがありますか。

 

それを想像して、悪くなったら良い生き方をしているのだと思う。良くなったら自信を持った方が良いと思う。そんな世界は存在しないのだから、どちらにしても良しとする方が良いのだ。存在価値を失うくらいなら、消えてしまいたいことの反対のように思えて仕方ないのだ。

 

自分のいない世界はどうだろうか。何事もなかったかのように世界は回る説が有力。それはある意味では正しいけれど、少し違うように思える。

 

忘れられないことがこの世にはあるのだ。

 

もしも、もしも。そんな風に考えて、実行する時は一瞬だ。その選択が取り返しのつかない結果を招くこともある。生きるって、そういうことなのだ。

 

他人との価値観なんて平行線で、交わらない。人によってはとても遠かったりする。カッシーニの間隙くらい。

 

そんな他人と、どう生きていくのか。自分にとっては、家族でもよくわからないのに。

 

自分がいない世界なら、自分は自分らしく生きられる気がするのだ。

 

秋の夜風がそう思わせるようなセンチメンタルな夜だ。松本伊代ちゃんじゃなくても。コンはまだ36だから。

 

締めが良くない記事の見本として。

 

コン