離脱症状、絶対に脱出ブログ

精神疾患で薬を服用。快復に向かうも今度は離脱症状に苦しむ。絶対に脱出して元気になる、なりたい人の希望になりたいブログです。

傷。

コンです。

 

本当に好きだったことも忘れてしまう。どんな好意ももう受け取れないのだ。そんな風になって、長くて、これがデフォルトになってしまった。

 

それでも、気を取り直して。今日。何となく生きている。

 

ここ数日は、体に良いことを積極的にしていきたいと思ってやってきた。少し手間をかけても自炊したり、とか。

いつか、そんな活動が身を結んで、毎日体だけは元気になれるといいな。

 

そういえば、このブログで何かを書きたいのに、何もない日が多い。落ち着いたんだろうか。そんなことを考えてると、自分は何かを吐き出したい為に書いている、納得いかないことをぶつける為に、その心の闇の墓場として、ネットワークに乗っかるような手法でこんなことをしていて。それは果たしていいのだろうか。

 

誰も傷つけずには、生きることも死ぬことも難しい世の中で、こんなに何かを発信して、誰かを傷つけてはいないだろうか。1人では生きられないのに1人だから、こんな方法でも誰かに発信して、誰かに読んでもらいたいのだろうか。

 

その事実だけは、僕を少しでも救うのだろうか。

 

傷つくことも傷つけることも、もうしたくないな。

 

コン

いつか、逝く日に。

コンです。

 

3年がかりのプロジェクト、最後の会社行事を今日無事に終えた。3年間、毎日携わってきた仕事が、これからはもうない。この終わりを見届けるまでは我慢しようと決めていた。

 

そのプロジェクトの成果物のどこを見ても沢山の思い出が必ずあって、何も大した仕事はできなかった自分の思いや悩みがあちらこちらに詰まっていて。確かにここに自分の仕事はあったのだと、少しほっとした。そしてその成果物は、恐らく何十年もそこに残り続けるものだ。きっとそれを目にする度に思い出すのだろう。出て行く前に、少し良い気分になった。

 

さて、ではどこへ行こう。

 

見つけたいものは見つからなかった。手に入れたいものは手に入らなかった。ただ、ここに必要な仕事があったから、夢中にやった。自分がどこへ向かっていても、天国でも地獄でも、どんな終焉でもどうだって良かった。

 

今はもう、夢中になれない。だけど与えられた環境に満足もできない。自分が一番中途半端なのだ。

 

頑張ってる人や、諦めてる人、どんな人にも必ず人生があって、その人たちみたいになれなくて。なりたいとも思わないくせに、普通の人の普通の幸せを、自分には掴めないことは、随分と苦しいことのように思うのだ。

 

誰かのマネをしても、誰かと同じものを手に入れても、決して幸せである確証なんてないんだ。

 

だから疲れても、続ける。必ず見つける。

 

3年かかって得られた成果物のように、きっとこの人生が終わる時にはそれを見つけていて、それはその時までわからないのかもしれない。いつか、逝く日に。それを見つけられるように生きていきたい。

 

コン

決断。

コンです。

 

自分を圧倒的に支配していた感情は、最早解決の糸口を失くしてしまっていることに、随分前から気づいている。不満はあるのに、求めることがないのだ。それは恐らく、この一連の事件とも呼ぶべきかもしれないただの些細な出来事に対する終焉が既に見えているということだ。

 

私が求めていることは、対価でも優しさでもなく、活動の中で感じ得ることなのだ。それは愛と呼ぶものに似ているのだろう。

 

もしかしたら世の中の離縁する人達は、そういったことが大半なのだ。一つ一つは些細なことで、ある時突然気がつくのだ。

 

もう、自分の居場所はここではない。と。

 

後ろ髪引かれることなんて山ほどある。憎んでしまったわけでもない。それでも、自分の決断は正しいと思えてならないのだ。

 

裏切るつもりはないけれど、そう捉えられてでも、行きたい場所がある。それが自分の決断。

 

行く。

 

コン

ドキュメンタリー。

コンです。

 

丁寧に生きるという目標を、少しずつ叶えていっている。少しのことを頑張るだけで、自分のことを好きになれる気がしている。

 

1週間分の自炊の下拵えをしたり、掃除機だけじゃなく拭き掃除をしたり、ベッドのシーツを洗ったりしている。普通のことをできただけでも、自分のことを認められるのだ。

 

勉強や運動も少しだけしている。その少しだけがとても満足だ。そして、少し痩せた。それがかなり満足だ。たった2キロだけど、体が楽になった。健康だ。

 

仕事においても、自分のしたことを少しずつ認められるようにしていきたい。誰が認めなくとも、してきたことは自分が一番よくわかっている。

 

人生において、自分のことを認めてあげるってことがとても大切な気がしている。それを、頭ではなく心でわかった気がして。少し満足だ。

 

そういえば、暑い。ので、テレビを何となく見たりして。最近、涙脆くなったなぁと思う。そして何にでも、自分を重ねてしまうのだ。例えば海外で頑張ってる人の番組を見て。例えば匠のドキュメンタリーを見て。自分は何ができているのか、と。病的だな。

 

ひとまず今日もそうして暮らすのだ。自分のドキュメンタリーを作るならどうなるかなんて考えずに。考えずに。

 

コン

走馬灯。

コンです。

 

ベンゾの日を忘れていた。というか、入院していた。そうやって、大切なことをすぐに忘れる。良くない。離脱症状が良くなったら、誰かの為に何かをしようと思ってたのに。これから、何かできることを探そう。

 

そういえば今週は諦めということをきちんと実践できている。誰も誘わない。誰にも期待しない。夢も見ない。それにも随分慣れた。とても楽になった。

 

承認欲求が強くて、自分は何者かになりたかった。それが叶わなくて必死に足掻いて認めてもらおうとした。それがきっと辛かったんだと思う。認められたいのに誰にも認められない。そのことを自分が認める方が随分楽だったんだ。少し寂しい気持ちもあるけれど、また一から始められる。自分で自分のことを許して、認められる日まで、きちんと毎日を大切に生きようと思う。

 

いつも自分は失うのが嫌だから、今まで頑張ってきたことを認めてもらえないのが辛かったんだ。だけど手放す時は一瞬だな。自分のそんな自我は、自分の成長に少しも貢献しなかった。だから捨てて良かったものだったんだ。

 

頭にはやはり走馬灯のように楽しかったことや有難いことばかりが浮かんでくるんだ。それを目の端で見過ごして、これから行かなければいけない場所を探している。

 

その日は近い。

 

コン

誓い。

コンです。

 

面倒臭いおっさんに付き合って飲む人の気持ちがわからない。でも世の中はそんなもので出来ているから、自分にも飲み友達がいるのだな。感謝。

 

久しぶりに仕事に出た。楽しかったな。さくさく仕事が進んでいくのも、進まないことが沢山あるのも。少し忙しい方がいい。仕事してるって感じがする。

 

いよいよ、今の場所から去る時が近づいている。新しい環境にワクワクしている。明日はどんな自分だろうか。前を向けているだろうか。笑って生きていられてるだろうか。

 

どんな状況でも、笑えると思う。それが、誓いだから。笑って生きると誓ったから。

 

それだけで生きていけるんだ。

 

コン

明日へ。

コンです。

 

病み上がりに夏祭り。かなり疲れたけれど、色んなことが新しかった。

 

まず、お面が1000円する。300円ぐらいじゃなかったかな。物価が高騰している。なのに焼きそばは300円。ん?合ってる?お面我慢したら3食食べられる?

 

姪は今4歳で。彼女が大人になる頃には、お面が2000円になってたりするんだろうか。

 

現実から逃避している。それでも少し未来に進む活動をした今日。証明写真を撮ってきました。もちろん転職用。

 

自分の価値を値踏みするようなところは一刻も早く抜け出さないとどんどん自分を認められなくなる。それは人生において、相当良くない。

 

手放したくないものより、手放した後に手に入れられるものがより良いものであるとしても、自分は今あるものを守りたいだろうか。踏み出す勇気は持っている。大丈夫だ。

 

明日から社会復帰。また一から出直そう。毎日毎日、明日を楽しみに迎える。

 

コン