奇跡。
コンです。
奇跡は起こらない。嘆いているわけではないけれど。
どんなことにも理由があって、それをわからないままにうまくいったことを奇跡と呼ぶというのなら、奇跡はあるのだと思う。でも偶然、何かが勝手に起こることはない気がしている。そう思うからというわけではないけれど、だからこそ頑張ってきたように思う。自分に折り合いをつけるために。
そして。それをわかっているから求めないようにしている。それを期待して縋るほど子供ではないのに、割り切れるほど大人でもなかったのだ。いつまで思春期だ。もう更年期だ。
奇跡は起こらない。
生まれ行く毎日は奇跡だろうか。何千何万と失われていく生命と比べるとそうかもしれない。心臓が動き続けることはそうかもしれない。それは極論だ。極論で考えて納得できるようなことなら考えはしないのだ。意味がないことは考えなくて良いのなら、それで良いのだ。でもそうではないから。
もし、奇跡の定義が自分が定義した上述のようなものであるならば、奇跡を自らの手で起こしてきたと言っても過言ではない。でも、それも極論。
詰まる所、極論を持ち出せば何でも納得できるようで、何故か何も納得できなくて、最早そのことこそが奇跡なのかもしれない。そんなことを考えている。
もしも奇跡は起こすものなら、起こった奇跡が起こしてきたものなら、自分はこれからも奇跡を起こし続けていける自信がある。それは奇跡ではなく、能力だろうか。運だろうか。周りの誰かのお陰だろうか。運も実力のうち。それも極論。
読み返してみると接続詞の使い方もおかしくて何も論理的でない。
だって、歌番組で奇跡は起こらないって歌詞の曲を聞いて思いついただけだから。そんな程度でうまく書けるような気がしてたのに。
奇跡は起こらない。
コン