何も受け取らない。
コンです。
裏切られた気分だ。別に隠したりすることでもないのに嘘ついて隠されて、それがバレた時って悲惨だな。自分の耳には色んなことが入ってくるのに。こういったことはスルー。対応しない。無視もしない。普通に過ごす。でも、もうそんな人にまで思いやりを持って接するのはやめよう。時間の無駄だ。
逆に。自分のことをスルーしてくる人もスルー。相手にされてないのに頑張る必要はない。そういう人にも思いやりを持つ必要はない。自分のタイミングで出て行くだけだ。
歪んでいる。たまにくるあれだな。更年期かな。思春期すらなかった気がするけど。
何もかもが嫌で、もうこれ以上どんな気持ちも受け取れない。どんな気持ちにもなりたくない。心を鎖す。鎖す。さぁ、その調子。誰も何もいらなくなってきた。
これ以上、何も受け取らない。
コン
切り札。
コンです。
会社のために仕事をしますか。自分のために仕事をしますか。誰かのために仕事をしますか。
どれでも良いけれど、どれも少しはないといけない。と思う。最近は他人に使う時間ばかりが増えて、それが会社や自分の成長になっているのか、考えることが多い。
伝えても伝えても学ばないのは世の常で、頑張った分だけ一緒に頑張れとか成長しろとか報われるとか、そんな風には全く思わない。ではそこにいる意味があるのかどうか。
どこに行ってもどこに居ても同じだ。だから割り切れている。現状維持だって、せめられたもんじゃないから。そこを捨てる自由も自分にはある。ジョーカーは自分の手の内だ。
周りは。生活のことや仕事のストレスや、それを発散することや楽しいことを探している。いや、探してだけ、いる。みんなきちんと今を生きている。自分はダメだな。将来とか、自分がいなくなる時に人生がどうであったと思いたいかとか、そのために毎日できることは何かとか、妥協してないかとか、少しでも前に進んでいるかとか、今日のごはんはうまかったかとか、クタクタになるほど必死に暮らせたかとか。
反芻。して。
それでもまた、ここで何が得られるのか、何を為したいのか。考えている。
いつかここから出ていく日を待っている。ジョーカーは握りしめたまま。
コン
問題。
コンです。
満足のいく休日を過ごしている。スポーツ、親孝行、体のメンテナンス、1週間分の家事、録画したドラマ。これといった問題はない。然し、問題がないのが問題だとはよく言ったもので、きっとこの先のことを考えると問題だらけのはずなのに、問題がないと思っていることが問題だ。
明日からの仕事を考えて嫌になったり、この世に1人みたいな気分になったり、随分長い間同じ気持ちで過ごしている。生命の営みとはいつもこうだろうか。いつかどこかで、きちんと誰かと繋がりを感じて生きられることもあるだろうか。
心を健康に保つ秘訣は、考えないことなのだけど、なかなかそうもいかないな。誰かといることが幸せだと思ってしまう自分は、こういう生まれ方は向かなかったな。1人でも楽しく過ごせる自分になろう。
そういえば、最近はとても暑い。不快。でも、夏だ。日射しが強いと心も強くなる。たぶん前世は植物だな。
来年の夏はどうしてるだろうか。今年の冬は。明日はきちんと笑ってるだろうか。毎日毎日をどうやって過ごしていこう。問題だらけのこの人生を、どうやって生きていこう。
問題があるから、生きるんだな。
コン
祈り。
コンです。
腹立たしさの先には何もない。腹癒せにバカ食いをしても何もない。脂肪のみ。死亡。我慢したら成長するというのは嘘だ。嫌なことがあっただけで成長するのなら、もう自分は神様仏様の類になっている。
なにもかもが思い通りにはいかないこと、知って大人になる。
そういえば、自分を尊敬してくれたり、好きでいてくれる人達はどんな自分になりたいのだろう。ある意味ではバカにされてるとさえ思うような発言でも、どこかは本気で、だからこそ繋がれるんだと思う。彼らは自分と、何かを繋いでいたいんだと思う。
尊敬できる人がほぼ居なくなったのは、自分が成長しているからであってほしい。最早自分は何者にもなりたくないのに、何者かになりたいのだ。世間で神様と呼ばれている人達はどうやってその神様になったのだろう。その人達もまた何者かになりたくて、神様にならされてしまったのかもしれないな。なりたい何者かは神様ではなかったのかもしれない。
どんなものも終わりを迎えるけれど、その時にどう感じていたいか。それが自分の人生においてとても大切だと思う。だから明日居なくなっても悔いが残らないように、毎日を懸命に過ごす。そんな毎日が、どうか自分の人生を豊かにしてくれますように。こんな自分でも、豊かに生きられますように。
コン
寝る。
コンです。
みんなが自分のしたいことばかりを優先させたらこの世はどうなるだろうか。この世なんて大それたもんじゃないけど。
みんな勝手だな。
どんなに腹が立っても、昨日と同じ自分だ。都合のいいことにばかり使われたくないから、道は自分で決める。
腹が立つことがたくさんある。どうしようもないことも。寝る。
コン
終着駅。
コンです。
久しぶり、ではないけれど地元に帰る。暑くなってきて、湿気が多いせいか草木の匂いがする。新しい街とは違う匂いだ。懐かしい寂しい気持ちになるけれど、決して後ろ向きではない今日。
終着駅を探している。
どうあろうが、どうなろうが、終わりのないものなんだろう。命を還すその日までは。それでも辛うじて生きている。
特に今日がどうこういうわけじゃない。デフォルトでこれだ。だから特に異常はない。異常だらけで正常なのだ。
そういえば、自炊なんかをしている。形から入る主義だから、調理器具や調味料を揃えてだいたい満足している。きちんと米を炊いて、野菜をとっている。優秀。命にこだわりがないのに、生きるなら正常でいたい異常。以上です。
病気になって、離脱症状で苦しんで。それからはいつもどこかに不具合があって。これが加齢によるものだという認識はある。なんでもかんでも昔のようにはできないもんだな。受け入れていかないといけないな。
そんなことを考えながら、帰途につく。夏の夜の匂いは特別寂しいものだ。修学旅行やお泊り遠足を思い出すからだろうか。懐かしいことは沢山あるのに、新しいことがそんなにない。大丈夫ですか。
そんなこんなで続いていく毎日。季節が変わって、また次の季節がきて。そうして、終着駅を探している。探したまま、終わりまでいく。
コン
幸せのようなもの。
コンです。
しばらくぶりになってしまって。元気です。仕事はバタ子さんレベルのバタバタ感。アンパンマンくらいなら100個は作れる。カレーパンと食パンとメロンパンナも同時に。そんな仕事をしている。
背中が痛い。最近はそれが辛い。他は大丈夫。でも背中が痛かったりお腹が痛かったりする。全部元気になりたい。
最近特に思うことは、頑張り疲れたらもうそのことは忘れてしまう方が楽かもしれないということだ。思い出さないように。
誰とももう出会えなくても、今あるものだけでも生きて行ける。無理して一般的な幸せの形を描こうとしても、やはりそれはただの幸せに似た何かであって、幸せではないのだと突然気づく。
世界に1人ぼっちみたいだ。
でも毎日は続いていく。幸せのような形で、幸せのようなフリをして。僕はそれを眺めている。僕も精一杯フリをする。
そんな毎日をいつか愛せますように。
コン