こだわるな。
コンです。
毎朝、やる気を出そうとしている。頑張って生きている。正しくは生きるために頑張っている。もっと言うと、生きるのに必死だ。
いろんな人が自分に言ったこと、良いことも嫌なことも覚えてる。強くなれと言われたことも、弱っちいと言われたことも、同じなのに何か違う。言った人によるのだろうか。その人が自分をどれだけ認めてくれているか、どれだけ自分を思って言ってくれているか。その違いだろうか。
強くなれってどういうことだろう。答えは自分でしか見つけられないから、ずっと探してる。自分が悪くないことや、どうでもいいことに対しては、本当に強い。ということは、真剣に取り組んでることとか、何か譲れないことに対して弱いということかな。
うちには仏壇があって、祖父母と父がそこにいる。僕は毎朝手を合わせて仕事に向かって、毎晩手を合わせてから眠る。仏壇にはお寺さんからいただいたカレンダーがかけてある。毎月の名言みたいなのがそこに書いてあって。いつもとても良いことが書かれている。
今日、また心が弱くなって、仏壇の前に座ってそのカレンダーをふと見ると。
こだわるな
そう書いてあった。カレンダーはマンスリーなので、今年はこれが最後。最後がこの5文字だった。僕は、こだわってただけなのかもしれない。いろんなことが思い通りじゃないと嫌で、いろんなことが思い通りじゃなかったから。それにこだわってただけなのかもしれない。
それに気づいても心は変わらない。でもこれからこだわらなくなったら、嫌なこともなくなるだろうか。心は楽になれるだろうか。
幸せと言えるだろうか。
コン
あの頃の夢。
コンです。
最近はマジメなことばかり考えていて、あまりよくない。から、楽しいことを考えてみようとしている。そしてそうしている間に、どうやら風邪らしい。出た。またこれ。
とにかく、朝から掃除もできたから部屋はキレイだ。身も心も良くないけど、離脱症状に比べたらどってことない。だからゆっくり過ごす。
明日から変わろうというのは、本当にできないな。意志の弱さにがっかり。どうしよう。
今日、したいことを考えてて。今の仕事を始めた時のことを思い出した。あの頃、エリートサラリーマンみたいになりたかったんだ。
格好いいスーツを着て、英語なんかも使って、バリバリ働いて。知識があって人望があるような社会人になりたかった。見た感じだけはそうなれて、英語だって使えるようになった。でも形だけそうなって、まだまだ足りない。
もう一度、そんな風に前を向いてやっていきたい。もっと勉強しよう。もっと頑張ろう。立ち止まってるなんて勿体無いし、自分には似合わない。
このヤル気のなさとか体調不良とか、何とかならないだろうか。もっと楽しく生きられるように。もっと輝いた人生にできるように。
とりあえず、胃が痛い。治す。
コン
幸あれ。
コンです。
社会不適合とはこのことだ。楽しいフリができてしまう。それが正しくなくとも。これが最後でも。
外にばかり向いていた目も、内に向けることも大切なことなんだ。
自分には価値がある。
必ず、誰にでも価値がある。見失ってはいけない。売上とは、社会貢献した先のものだ。決して、金額として売れたもののそれではない。
頭が痛いことは、それを理解するスタンスを持ち合わせてない人がいることだ。
社会の課題を解決していくことこそが、働く意味だというのに。
私は決して仕事ができる人間ではないし、くだらないことはどこまでもくだらない人間だ。それでも許されることがあっても良いでしょう?
そんなことを思いながら、地下鉄から出られない。いつまでも対象の駅に着かない。迷子。
どうか、彼らの人生が良きものでありますように!!幸あれ!!
コン
やり直し。
コンです。
しばらく離脱症状による体調不良や忙しさにかまけて、自己成長の機会を見逃してきて。そうやって、きちんと向き合ってなかったこともきっと肯定感を得られなかった理由だなと感じて。明日からは少しずつでもやろう。もう一度初心に帰って、もう一度。
思えば社会に出遅れて、やっと30でスタートラインに立った時、野望というか成長意欲ばかりで、社会人スクールに通ったり、英会話始めたりしてたな。その学んだことを仕事に活かせたから、きっと今の立場がある。
それに、忘れてはいけないことは、それを評価してもらった人への感謝だ。今は道を違えてしまったけど、受けた恩まで忘れるほどバカじゃない。
これから自分の能力を上げて、認めてくれる人は違うだろう。それでも、この数年は確かにあったし、感謝の気持ちも確かにあった。全てを否定はしない。
だからこそ、ここから出ていける。私は私を思い出して、出ていける。本当にありがとうございました。
新しい自分を始める。それはいつからでも、いくつからでもできる。人はいつだってやり直せる。
ありがとう。
コン
好き。
コンです。
心には間違いようのない、確かな気持ちがある。みんなそうだと思う。好きとか嫌いとか。
それだけで生きていけるほど、強い気持ちはみんなにあるのだと思う。十字架を背負えるほど強くなくとも。
価値観とかそういうものだろうか。そうでなくとも良い。
気難しい自分に気難しい人が合っている。誰を理由に生きられないとしたら、誰かを理由に生きられることは幸せなことかもしれない。
でも、本当のことはもっとシンプルで。詰まる所、好きなだけなのだ。
愛して止まないことがある。それだけで生きた価値はないだろうか。自分だって、好きなまま生きて悪いだろうか。
自分が好きかどうか、それだけは見失わないようにしたいな。
好きだな。
コン
1人。
コンです。
不完全燃焼。そんな様相。きちんと向き合わない人と何を話しても無駄なことだけはわかった。こちらとしても、もう向き合うことはできない。本当の意味で諦めがついた。何を言っても良いと思っているのだな。
私はあなたの家族じゃない。
親族経営はそんなものだとわかってはいた。これまでうまくやれたことを奇跡だと思おう。やはり、職探しだな。来年になったら落ち着くだろうから、探してみよう。もっと成長できることがあるかもしれない。
一緒に仕事をしたいと思ってた人にも諦めがついた。誰がいてもいなくても、誰に認めてもらえずとも、自分は自分の仕事をすべきだし、したい。誰かと一緒に生きたいと考えることももう辞めた。
思えば病気との闘いも、離脱症状との闘いも、1人だった。仕事だってそうだし、誰だってそうだ。1人なのだ。そのことがとても寂しかったし心細かったのだ。でも今はそんなことない。
1人であることは寂しいことでも恥ずかしいことでもないし、自分を理由に生きることで強くなれる気がする。
明日も1人、凛と生きる。必ず。
コン
どうか、お願い。
コンです。
どうか、お願い。
そんなタイミングが多々ある。欲深いからかもしれない。願うことは多い割に、叶ったことはあまりない。叶える能力が低いせいかもしれない。
誰かの為に何かをして、それを何年も続けて、それが当たり前になった。当たり前に過ごしていけるのが当たり前の中で、人はその大切さを忘れてしまう。失くなると困るのに、大切にはしない。生物学上か心理学上か何かはわからないが、それが思考をもった人間という生物の真理のような気さえする。
自分だって、当たり前のことに感謝できてないことがあったのかもしれないな。
恋愛のようなものでなく、イーブンな関係でさえ、大切にしてきたから、大切にされたいと願うことは、余りにも自分中心の考えのような気がしている。そんな願いだから、叶わないのだ。
で、こんなことを書いて、また忘れる。全く成長しないな。
これからは、願わなくとも叶うようなことばかりを集めて、その中で幸せに似たような何かを見つける、そんな幸せに似たような生活をしようと思う。その中にある疑念に気づかないようにする。
だからどうか、お願い。
コン