離脱症状、絶対に脱出ブログ

精神疾患で薬を服用。快復に向かうも今度は離脱症状に苦しむ。絶対に脱出して元気になる、なりたい人の希望になりたいブログです。

その日まで。

コンです。

 

突然の腰痛、突然の不調。久しぶりだな。何もヤル気もなくて。何もかもどうでも良くなった。嫌なことも辛いことも、もう特にない。では今抱えている感情は何か。それもわからないことさえ、もうどうだっていい。

 

ただ、この状態は知っている。最近まで、よくあったことだ。ヤル気がなくなって、どうでもよくなって、悲しくて、苦しい。知っている。これは一瞬のことだ。

 

テレビで駅伝が放送されていて。果たして、こんなに速く走る人間と、何もできない自分とが同じ生物だろうかと思う。個体差がひどい。それでも生きているという点では辛うじて同じだな。

 

そんなことを考えられる程度には正常なのに、頭はもうぐちゃぐちゃだ。あれもこれも叶わないのに、なぜ必死にならなければならないのか。その問いに答えなどないことは、既に知っている。自分なりの幸せはどこを探し回ってもありやしない。思い出すこと全てが悲しくて、愛おしい人さえ、自分を悲しくさせる要素になるのだ。

 

一旦、落ちつこう。深呼吸深呼吸。そうやってまた乗り越えるのだ。楽しいことがある、その日まで。息をしなくてよくなる、その日まで。

 

コン

問うている。

コンです。

 

本当に大切にしないといけないのは、自分の価値を認めてくれる人だ。そこを見失ってはいけない。自分が大切にすべき人は、親兄姉や親しい友人や慕ってくれる後輩たちだ。それを見誤ってはいけない。

 

ともすれば、自分の損得感情や憧れのようなものに目を向けてしまうことがある。それは決してダメなことではないけれど、本質を見抜かなくてはならない。

 

特に、企業に属する場合はそうだ。自分の価値を値踏みするような企業で、自分らしい仕事ができるかといえば間違いなく無理だ。当然、それは自分が一切に手を抜かず、妥協せず、企業に必要な仕事をし、貢献をしていることが前提だ。しかもそれは自己満足ではいけない。経営の方向性に沿えているかという、確認作業も怠ってはならない。

 

その上で理不尽なことがあった場合、それは並行線、価値観の相違であって、最早埋まるものではないかもしれないことも充分に覚悟しておかなければならない。

 

その上で、問うているのだ。私は今、どのような価値があるか、と。

 

その与えられた価値に納得できないのであれば、客観的に自分の価値を見る努力をすべきだ。それで納得いけばそれで良し。いかなければ納得いく場所を求めれば良いのだ。

 

考えることはそれほどない。

 

病気になった時、医者に言われるがまま薬を飲み続けた。それが良くなる方法だと、只管信じて。でもそれは自分で選んだ道ではなかった。離脱症状を経験して、自分で選んだ道ではない場所で問題があった場合、自分は後悔してしまう性質だと悟った。だから断薬は自分で選んだ。相当な時間がかかっているけど、後悔はしていない。

 

詰まる所、自分の人生とはそうなのだ。自分で選んだ道でしか、自分が生きている意味を感じられない面倒な性格なんだから、自分で選べばいいのだ。

 

こと、仕事においては、選べる道などいくらでもある。生きていく上で、働かない以外の道で、それが成り立たないことなどないのだ。

 

幸せだって、楽しみだって。自分は自分で選べる。人に自分の人生の価値は決めさせない。

 

当たり前のように続いていく毎日の中で、溢れかえる人の群れの中で、自分は何も特別じゃない中で、自分は何が特別だろうか。

 

自分とは、今何だろうか。それを問うている。

 

コン

スタートライン。

コンです。

 

何事にも一生懸命だった。1つのことを真剣に考えて、真摯に取り組んで、悩んで。それだけが取り柄で、それしかなかった。決して悪いことではなかったかもしれないけれど、不器用だった。一生懸命やることだけが正しいとは限らないのに。

 

熱量に違いがあった。温度差。それは人から見れば鬱陶しいことだったかもしれないな。それを客観的に見られるようになっただけマシかもしれない。それでも心は変わらないから、自分の中で消化していく温度だけが残って、寂しくて。それが変に心地よいときもあるんだけど。

 

諦められたら、人は終わりだと思ってたんだ。だから自分だけは何も諦めないでいようと思ってたんだ。

 

マイノリティであることは苦しいことかもしれないけれど、そうありたい自分もいるのかもしれないな。

 

必死で考えてる陰で、その相手は酒を飲んでるかもしれないし、やましいことをしているかもしれないし、駄菓子でも食いながらお笑いでも見てるかもしれない。そんなでも、必死で考えたいと思うだろうか。つまり、人に同じ熱量を求めてはいけないのだな。

 

許せないことや許されないことがあっても、自分だけなのだ。

 

フォーカスしない。病気からそれを学んだ。辛いことにフォーカスしない。悲しい気持ちにばかり目を向けない。時間は知らない間に過ぎていく。毎日何も変わらないことなんて、ない。

 

楽しいって思える人生にしたい。やっとここまで脱出した。

 

確実に良くなってる。確実に学んだことがある。もしかしたら、これを学ぶための病気や離脱症状だったのかもしれない。

 

そう思えたら、悪くないな。楽しい人生にする。やっともう少しでスタートラインだ。

 

コン

生きていく。

コンです。

 

久しぶりによく眠れて、少しすっきりして。思い出した。これ、離脱症状から脱出するブログだった。忘れてたわけじゃないんだけど、忘れてた程度には良くなってる。そんなこんなで、断薬から10ヶ月が経過しました。

 

今は離脱症状と感じるのは、ストレスへの脆弱性くらい。とにかく弱い。それもだんだん良くなってるのはわかる。これからどんどん強くなれそう。それは身体症状がほとんどなくなったからかもしれない。身体がしんどいと心が弱るから。

 

その身体症状は動悸くらいのものだ。それもだんだん薄れてきている。年内に克服して、来年は完全な状態で迎えられそうだ。やはり断薬から1年はかかるのだな。それでも今はもう、ほとんど気にならない。長期の海外出張に出ても、時差ボケで寝不足になっても、仕事もできたし遊びもできた。常人より体力があるといえるくらい。

 

今年を乗り切ったら、来年は脱出宣言をして、ブログ名も変えるかもしれない。最近は離脱症状のことあまり書いてないから。それでも、ベンゾの日には必ず何かをしたいと思う。

 

ところで、消したい気持ちがある。沢山ある。特にネガティブな感情。それを消す方法を知ってる人いたら教えてください。チョコあげるから。

 

最近は怒りを感じることが多い。消したい。こんなことも許せるようになっていくだろうか。許せるようになれなくてもいいや。

 

新しい仕事や出会いを、今は楽しみにできるようになった。どんな仕事をしよう。どんな人と出会えるだろう。これから人生が楽しくなる気がする。

 

生きていける。

 

コン

終わりのない。

コンです。

 

仕事とは。とかいう話になると正解なんてないのに、心に秘めた思いを隠せないでいる。頑張ることなんて誰にでもできて、成果を出すことも割とできて。自分の仕事は、仕事でも作業でもないところにあって。信念だ。そんな思いでやってきたらスピード出世と呼ばれるような社員になった。何ができるわけでもない僕は、ただそれを受け取ってくれる人と出会えた運の良さで、これまでやってきたのだ。

 

それが今、崩れた。

 

終わり。それを迎えようとしている。どんな終わり方でも別に良くて、でもこれまでお世話になった恩を仇で返すようなことは簡単にはできない。

 

どこへ行っても、自分の求める仕事があるか、その仕事の真髄を見られるかはわからない。見たい気持ちと、見てしまった先にもう何もないかもしれない不安と。そんな気分の混合。

 

きっと、終わりはないのだな。何をしても、誰としても、どこでしても。それを一生追いかけたいと言えるほど不自由ではないし、目に映る楽しそうなことばかり追いかけていけるほど自由でもない。

 

そこに終わりはないかもしれない不安と、終わらないで欲しい気持ちと。全てはそうなのかもしれない。

 

終わればまた始まるから。しがみつかない。失くすのが嫌だから何も捨てられなかった僕は、初めて大切なものを捨てて。

 

終わりにするんだ。

 

コン

 

 

おしまい。

コンです。

 

いらなくなったら捨てる。その対象になっただけだ。何も悪いことはされていない。自分の番が来ただけだ。理不尽なことは腐るほどある。あった。それに耐えたことなんて何のプラスにもならない。でもそれが社会だと思うから。仕方ないな。自分のしてきたことを理解してもらおうと足掻くのも、もういい。そんなことに何の意味もない。興味もない。自分が欲しい答えを返して欲しいというつもりもない。

 

これからどうしていくか、自分で選ぶ。それだけだ。

 

 ただ、怒りがおさまらない。この数年積み上げてきたものも、全て壊された。ただの気分で。ここにもう、未来はないだろう。間違ってる。正しくない。そんなことはもう関係ない。ただ、気に入らない。それだけだ。

 

ここまでだ。 

 

コン

もしかしたら。

コンです。

 

書きたいことは沢山あるのに、いざ書こうとすると1つも出てこない病気に苛まれている。書けなかったからといって誰が責めるわけでもなかろうに。

 

あ、思い出した。思い出すまでに25分かかった。えーと、とにかく結婚して家庭を持つということが叶わなかった。諦めたとかではなく、性格とか、心とか、体とか、制度とか。色んな問題で。最初から考えてなかった。自分には無理だったし、それを叶えることは他の全てをかなぐり捨てることと同義で、現実的でなくて。残業未払い1時間で民事にするくらいの現実みのなさで。だからどうこうしようとか思わない。でも、したくなかったわけじゃないから。それが心の問題だ。

 

若い頃はそれが受け入れられず、生まれを呪ったりした。そういう意味では、生まれてきた価値を見出していこうと決められた分、随分楽になった。でもそれは認識を変えただけで、現状は何も変わっていない。叶わないものは叶わない。それは仕方ないことだし、誰にだってあることだ。問題はまた別で、それが自分の生きる上で1番大切に思ってきたことなのだ。そのウエイトを変えることで何とかやってきた。これからもそうするつもり。

 

そんな人生でも、割と楽しいよ。

 

例えば6年前の自分が、仕事で英語を使ってるなんて想像できなかった。管理職になるとも思ってなかった。1人で海外旅行なんて全く興味がなかったし、映画にハマるとも思わなかった。30年。そうやって生きてきたのに、見事に覆された。もしかしたら5年後は。また違うかもしれない。長い長い旅の途中で、もしかしたら、もしかしたらって思っても問題ないと思う。

 

楽しい旅にする。

 

コン