晴れた明日を約束する。
コンです。
慶事と弔事が重なって、弔事を優先した結果、大変申し訳ない思いで一杯な土曜。親戚の葬儀に参列してきました。天気が良くて、まるで安らかに眠るためにあるような一日だった。
祖母や父を亡くした時に感じた悲しみを思えば、遺族の気持ちは推して測るべし、と思ってた。けど、みんな思ったより元気だった。長い長い危篤の間に、心の整理はある程度ついていたのだという。待ってるようで悪かったが、葬儀の準備も慌てることなくできたのだと、奥さんは笑った。とても強い人だと思った。
死に対する受け止め方にも個人差がある。失くすのが怖い自分は、他人の死が1番悲しい。彼女たちはその悲しみを正しく受け止めて、感謝と希望にすぐに変えていた。そういった受け止め方ができれば、自分も少しは楽だろう。なんでもかんでも重く捉えてしまう癖は、こういう重いことをより重く、暗くする。受け止め方が異常なのだ。学ばせてもらったな。
散々、ものごとを重く受け止めない方法とかについて調べたけど、できてない。できてない自分を許すのだという考えも忘れてしまっていて、もう一度同じこと考えてました。無念。
明るく、軽く考えて行動することもあるけれど、どうにもそういうことを演じているように思えてならない。自分じゃない。生きることは本当に難しいことだ。
仕事して、良い家に住んで、服や鞄も好きなように買えて、飲みに行ったりスポーツもしてる。旅行にも行くし、友達も多い。一見何の悩みもなさそうなんだろうな。違うぞ。
毎日、寂しいとかを通り越して、辛い、悲しい。何がかはわからない。息苦しい。それでも生きなきゃいけないし、死ぬのも怖いし、なんとなく生きてる。
特にテンションの上がることも、もうないのだ。自分だけが、この世界から取り残されているように思えてならないのだ。
そんな受け止め方はきっと異常だから、変えていく。毎日を少し変えて、ステキな毎日にする。晴れた明日を約束する。
コン