離脱症状、絶対に脱出ブログ

精神疾患で薬を服用。快復に向かうも今度は離脱症状に苦しむ。絶対に脱出して元気になる、なりたい人の希望になりたいブログです。

大好きな歯医者。

コンです。

 

ここのところ通っている歯医者が好きで、治療が嫌じゃなくなってる。しかし神経の治療も1ヶ月となるとあまり好ましくない。

 

歯医者が好きな理由は先生が優しいからだ。決して痛くはしたくない。でもきちんと治療したい。そんな先生。

 

一方、もう随分頭痛も歯痛も長くなってへこんでて、痛くてもいいから早く治して欲しい私。痛くしたくない先生。早く終わらせたい歯科衛生士。三つ巴と見えて、実は僕と歯科衛生士の共闘。

 

器具が入れにくくて神経の処置が難しい先生。早く治して欲しくて顎を目一杯開く僕。更にそれをバキュームで開こうとする歯科衛生士。それ以上は!それ以上は開かんぞ!の私。

 

削りますよー洗いますよーと、痛みが出そうな処置の時は必ず声をかけてくれる先生。必ずあいーと口を開けたまま返事する僕。途中、先生も歯科衛生士も僕も闘いが長すぎて混乱してきて。先生の〇〇お願いしますに返事する私。削りますよーに返事する歯科衛生士。途中、2人とも返事したりして、笑いが込み上げてきて顎外れるかと思った。

 

で、今日も40分の奮闘の末。

 

来週で神経の処置は終わりにできそうです!と、先生。先生の一人勝ちでした。来週も歯医者が楽しみだ。

 

コン

自分を褒めること。

コンです。

 

何かになれなくても、生きる意味がある。そんな映画を見た。

 

少しの不自由さで、物事の全てを悲観的に捉えてしまうのはとても勿体ない。だけど、不安になったり悲しくなったりする。不安。それが全ての元凶だ。

 

不安は、より良く生きたい自分に対する防衛本能だと聞いたことがある。だから不安な自分も許して、愛してあげるのだ、と。

 

今まではあまりよくわからなかったけれど、今日言われたのは自己肯定感が低いとそうなる、ということだった。確かに、褒められても謙遜するし、もっとできるはずと欲を出すのがデフォルトだ。これは良くない。でもそれすらも良くないと捉えるんじゃなく、そんな自分もステキで好きだと思うと良い、と。

 

なるほど。今までは自分を許さないといけない、全てを愛さないといけない、とがんじがらめで嫌だと思ってたけど、許せない自分も頑張ってて好き、愛せない自分も芯を持っててすごい、と思うことはできる気がした。

 

イムリーな記事をインターネットで読んで、それも自己肯定感を高める記事だった。帰って、自分をハグして、褒めてあげるのがいい、と。早速やってみた。ら。

 

なんだ、なんか気分がいいじゃないか。単純な自分がとてもかわいい。

 

ここ数年、ずっと荒れてた。誰よりも努力して誰よりも我慢して誰よりも結果を出した。評価もされてきた。ただ、一言。数人のたった一言が、自分を壊した。それから自分は何をやっても認められないと思ってきた。自分には価値がないと言い聞かせた。だから努力も我慢もしない他人が許せなかった。

 

信じるべきだったのは愛する人で、その人だけは自分を認めてくれた。それを信じていれば何も自分を卑下せずに済んだ。

 

これから、自分をもっと褒めてあげたい。どんな体調不良でも、決して諦めることなく、仕事も休むことなく、頑張ってきた。本当によく頑張ってる。これからも頑張れる。もっと沢山、したいことがある。それができない自分も、生きている。頑張って、生きている。

 

何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ。そう、聞こえる気がする。

 

コン

狂おしく。

コンです。

 

体に変化が起こると心臓がドキドキする。少しの異変でも、だ。更に、この胸の苦しさと耳鳴りは連動している気がする。耳鳴りがすると、決まって不安になって苦しくなるのだ。頭がおかしくなりそうだ。

 

それでも、人間はそんなに長くは生きられないから、どう前向きに考えて生きるかが大切なんだろうな。もう、そんなに病気に心を持っていかれたくない。

 

小さな頃は家族や友人の大切さなんて、よく考えていなかった。ただそこにあるのが当たり前で、父も祖母も猫も犬もいない、こんな日が来ることなんて考えもしなかったんだ。今ならよくわかるよ、その大切さ。いつかまた誰かいなくなるし、それは自分かもしれない。毎日毎日が、最後の日かもしれない。だからそんな毎日を、どんなに調子が悪くても笑って生きていきたい。狂おしいほど、この日常を愛していきたい。

 

輪廻とはあるだろうか。あの世とか、この世とかはあるだろうか。いつかまた会えるかもしれない。そんな日を楽しみにすれば、怖いことなどあまりないのかもしれない。

 

コン

ふるさと。

コンです。

 

2日か3日に1日、調子の良い日がある。ここ3日では2日元気だった。これはすごいことだ。調子が良いと言っても、元気なわけではない。けど、前と比べるとすごく良い。何が解決されたお陰かはわからない。

 

まずは三大欲求の復活おめでとう。腹が減る。腹が減って仕方ない。太る。眠い。寝たい。なるべく沢山寝たい。性欲はそれなりに。

 

ストレスは沢山あるけれど、それにばかり囚われないようにしたい。

 

ここのところ懐かしいことばかりを思い出すのが続いている。地元の自動販売機、駄菓子屋、お地蔵さん、コロッケ屋さん、ホルモン屋さん。どこを見てもまだ思い出ばかりだ。

 

昔住んでた小さな家は、外観はほぼそのままにリフォームされて、人が住んでる。楽しかった子供の頃のままだ。その近くでは、夏にはなんまいだなんまいだと言って、数珠を回して拝めばお菓子がもらえる行事があった。祖母は少し仏道にいたから、大きな数珠の真ん中で拝んでいた。今もいくつかお経やご真言を言えるのは、祖母が毎朝毎夕、仏壇に向かって2時間も拝んでいたからだ。よく居眠りして、お線香に何度も火をつけていた。どこまで読んだかわからなくなって、みんなで笑ったことまでよく覚えている。

 

いつか、地元に帰ろうと思う。

 

サラリーマン、嫌じゃない。一人暮らしも気ままでいい。夢見たようなサラリーマンに、なれた。悪くない。だけどあの街に帰りたい。沢山の思い出がある。今も悲しくなるような、暖かくなるような、そんな気分になれる街だ。おかえりと、言ってくれる気がする。

 

いつか帰る。

 

コン

 

 

気のせいだ。

コンです。

 

胃が痛い。平気で調子悪いのはデフォルトだからまぁもう気にしない。眠れないから何?息できないから何?死ねるもんなら死んでみな。それくらいの勢いで生きていきたい。それが無理だから困ってるんだけど。

 

昨日も今日も雨が降った。生きていく上で、雨の日もある。言うなれば、今は私の梅雨だ。それでもいつか晴れるのだと思う。病気が良くなることはなくとも、良くない自分を受け入れて、晴れた今日を手に入れられる日が来るかもしれない。

 

決まって雨。と歌ったアーティストがいる。こんな日は決まって雨なのだ。だからどうということはない。雨なら雨で楽しみようがあるのだ。もしもこの病気が治らなくとも、楽しみたい。過去には未来はない。失ったものにばかり目を向けても、帰れないのだ。だからこそ、今をきちんと受け止めて、やっていく。その活動こそが、私の生きた証になる。する。

 

良いも悪いも繰り返し、そうやって生きてきた。昭和が終わり、平成が終わる。そんなにも長い間、生きてきた。だから大丈夫。全部気のせいで、大したことはない。

 

病気は全部、気のせいだ。

 

コン

春。

コンです。

 

昨日、あんなにおセンチになってたのはなぜかわからない。今日は忙しくて充実していた。体は良くなっている。そして。平成が終わる。令和。うん。難しい。

 

思えば人生のほとんどを平成で過ごしていて。今朝、突然寂しくなった。大好きだった家族と過ごしたのは昭和じゃなくて平成だったんだ。何度も何度も、平成で年賀状を書いた。元日の朝に、ポストに年賀状来るのが楽しみで。お年玉も、従兄弟が来るのも。全部楽しみだった。その平成が、終わる。

 

まぁ。それはそれで。いっか!

 

今日、何故か色んなことに諦めや見切りがついた。自分は誰かれ構わず人の気持ちを汲み取って、みんな過ごしやすいようにとしてきたけれど。ものごとを正しく受け取れない、心の貧しい人にまで寄り添うのはやめた。そう、自分はそういう人が好きじゃない。会社にいなければ知り合いにもなりたくないと思う。だから割り切って、彼ら彼女らより大切にしたい人を大切にする。そう思ったら気が楽になった。そういう人たちもそのままでいい。変わらなくていい。それが望みなら。そのうち淘汰されるから。

 

心が軽くなって、少しまだ寒いけど、春。

これからだ。

 

コン

生まれた意味。

コンです。

 

食べても戻したりする。もう25年もそうだ。昔からダメだったんだな。胃も腸も弱いんだろう。そういえば、昔はバイキング、今でいうビュッフェかな。に、連れていってもらってて。父が優待券みたいなのを持ってて。オリンピアだったかな。に、よく行った。僕ら兄弟は楽しみで、なるべくお腹を空かせて行った。その時も戻してたな。よく考えると給食もよく戻してた。28の時、胃カメラをしたら異常はなかったんだけど、胃が小さいと言われた。とにかく体は弱め仕様だから、気にしない。これから、沢山食べられるようになろう。

 

そう、昔を思い出して。

 

父が。いた。祖母がいた。彼らがもういない。父や祖母を思うことは毎日。だけど、彼らがもういないという事実を思うことは今はほとんどなくて。今日、久しぶりにそれを思い出した。

 

晩年の父や祖母を、僕は知っている。でも浮かんでくるのは、僕がまだ幼かった頃の彼らだ。そして父も祖母も、笑顔だ。目がぱっちりしてて、キラキラしてて。みんながいた。父と祖母はいなくなった。それがとても悲しいことなんだと、時々思い出すんだ。今日みたいに。

 

兄の義父がガンで余命宣告をされたそうだ。何度も会ったことがある。結婚式はもちろん、父や祖母の葬式でも。半年らしい、と。母は淡々と言った。それが今、とてもひっかかって。

 

父が余命宣告された時、心配で心配で、毎日自転車で45分、仕事が終わるとすぐ帰った。それが嫌になって、実家に戻った。もうあまり笑えなくて、食べられなくなった父と、最後を過ごした。朝方にソファで咳き込んでいた父の手を取った時、ごめんな、ごめんなと言った父を僕は忘れられない。沢山してきてもらったのに、謝ることなんてない、ありがとうと言った。父は泣いていた。人前で泣かなかった父が、泣いていた。その3日後、父は行った。僕を待った15分後。忘れられない。

 

父と。祖母と。2匹の猫と。1匹の犬。僕の大切な思い出。もう、帰れないんだなぁ。

 

どうしても新しい大切な人を見つけられない僕は、これからまた何かを、誰かを失うんだろうか。みんなが与えてくれたものが素晴らしいから、その時のことばかり思い出すんだ。本当に大切だ。そんなものが僕の中に沢山あるだけで、子孫を残せない自分にも、随分と生きた意味があるように思うんだ。みんなが、僕が生まれた意味を作ってくれたんだな。本当に感謝の気持ちで一杯だな。ありがとう。

 

そのうち。そっちへ行くんだなぁ。そう思うと、今この人生。精一杯生きて、みんなと同じところへ行けるように。大切に過ごそうと思う。

 

コン