離脱症状、絶対に脱出ブログ

精神疾患で薬を服用。快復に向かうも今度は離脱症状に苦しむ。絶対に脱出して元気になる、なりたい人の希望になりたいブログです。

楽しい。

コンです。

 

仕事始め。いつも通りのミスの連発。だから何?くらいの態度で挑む。大丈夫。

 

人生には、そわそわする時がある。意味があっても意味はなくとも。でもそんなことがどうでもいいことになった。

 

自分の発した、この仕事の最終形態はどこか、それによって会社に、社会に齎されることは何か。それを感じられる仕事の楽しさは格別だ。

 

このたった1日で、何かを為せたことなんてない。だけど、少し前に進んだこの1日がとても大切に思える。

 

楽しい。

 

普通に過ごしていて、楽しいことがある。それだけで、随分と前に進んだ気がするんだよ。

 

毎日を楽しく過ごすことはとても大切だ。それを心に、今日も笑顔で過ごす。特に大したことはなくとも。

 

毎日がかけがえのない毎日なんだ。

 

コン

 

 

前向き。

コンです。

 

この年末年始は親戚の子供と毎日一緒で、楽しい年越しになった。大抵はお年玉を貰ったら帰る彼女たちが、年末年始を華やかにしてくれた気がする。

 

明日から、また仕事だ。そんなに嫌なわけじゃない。転職を視野には入れているけれど、やる気がなくなったわけでもなし、とにかく直向きに仕事をしようと思う。

 

過去のことは引きずっても仕方ないし、何でも前向きに捉えて進んでいきたい。そういえば、あんなにイライラもやもやしてたことも、忘れてはいないけれど思い出さなかった。未来に繋がる過去以外は2017に置いて来られたようで、何だか嬉しい。

 

今年はなるべく笑顔でいようと思う。面白いことを沢山言おうと思う。何でも面白おかしく捉える癖を身に付けたい。自分が幸せになることが、間接的に自分を大切に思ってくれている人たちを幸せにすることに気づいている。

 

幸せとは何かなんてわからないけど、笑顔で居られれば幸せだろうという浅はかな魂胆でこんな目標だ。そしてそれは自分が意識すれば、何とでもなりそうなことだ。

 

去年は離脱症状も酷くて、常に身も心もボロボロだった。それはだいたい落ち着いてるから、少し悪くなっても笑っていたい。

 

そういえば、前向きに考えれば大したことじゃないことに頭を悩ませ過ぎていたのだ。転職だって、できないかもしれないとか、給与が下がるかもしれないとか。仕事続けられないかもしれないとか。全部後ろ向きだ。そんなはずないんだよ。最悪、マンション貸して実家に戻ってもいいんだ。何の見栄を張って何も手放したくないんだろう。大したものは持ってないのに。本当に手放したくないものは、家族とか友達とか健康だけだ。お金だって、家だって、仕事だって、自分には大した意味のないものだ。

 

とても後ろ向きなように見えて、かなり前向きなのだ。だってそれを失くしても大丈夫だったら、好きなことして生きられるような気がするから。

 

それに、好きなことをする道中で、その全てを失わないといけない罰ゲームなんてあまりない。あまりないことに目を向けてたら、車に轢かれるの怖いし、電車だって、海外旅行だってできない。事故だってテロだってあるんだし。

 

だからこれから買う予定の宝くじだって当たる気がする。

 

だって前向きだから。そんな2018に乾杯。

 

コン

さよなら今年。また来年。

コンです。

 

紅白歌合戦を見ながら今年を終えようとしている。色んなことが今年もあった。どんなに辛いことがあっても、どんなに苦しい一年でも、どんなにマイノリティでも、自分の今年もみんなの今年と同じように終わる。それがとても幸せだ。

 

苦しい時期はひとまず去った。こんなに普通に年を越せる。

 

明日に持っていきたいものは特にはなくて、自分は何も特別なものは持ってなくて。それでも、有難いというか、感謝の気持ちだけは来年に持ち越そうと思う。

 

こんなブログを読んでくれている人たちに感謝と、みんなにも自分にも、素晴らしい2018年が来るように祈りながら、今年を終える。ありがとう。

 

コン

最後まで。

コンです。

 

随分久しぶりになってしまった。元気です。離脱症状なんて感じない程度には。ただ、忙しい。日本人はみんなそうだろうな、程度の忙しさ。

 

それでも、厳選したお付き合いはできていて。自分から選んで遊ぶというのは、本当に楽しいのだな。余計なことや乗り気でない飲み会とかを回避するだけで、割と楽しく過ごせている。

 

課題だった離脱症状については、ストレスへの脆弱性のみ。動悸もそれが原因だと思っている。心配や不安により、動悸が起こる。心が強くなれば、きっとこれも良くなる。悪い、とは言えないレベルまで戻ってきた。

 

思えば薬を辞めたのが今年の2月。長かったけれど、確実に良くなった。あと2カ月で1年。きっとその頃には、問題なくなっているだろう。今年はこうして暮れていく。沢山の人に感謝したい1年になった。同時に、気づかないようにしてきたことに気づいてしまった1年だった。

 

墓参りも大掃除も終えて、明日は今年最後の1日。きっと来年の目標を立てるのだろう。3日も経てば忘れてしまうような目標を。健康に気をつける、体を鍛える、無駄遣いしない、英語頑張る、勉強頑張る。そんなとこだろうか。

 

来年は引越しや転職が待ってる。色んなことがあるだろうけど、色んなことに気をつけないといけないだろうけど。

 

何でも前向きに捉えて、楽しく過ごす。

 

やっぱりこれだけだな。どんなことだって、自分は必ず大丈夫だし、できないタイプでもないし、力を持ってる。それを証明したい。する。

 

人生がどんどん良くなってる。今年も最後まで走りきる。

 

コン

解決。

コンです。

 

分析。してみようかな。

 

いきなりの思いつきに続く言葉が思いつかない。年末だから、という理由ではなく、これから少し方向性を変えるにあたって、なぜそう思ったのかは明確にしておきたい。そんな感じだ。後悔することがないようにしたいから。

 

まず、あれだ。今の会社に入ってからだ。とにかく、入る前は職歴なしの31歳。しかも鬱病の真っ只中。服薬しながら、最悪辞めればいいやくらいだった。とりあえず事務の仕事なら対人もあまりないと思ったし、残業もあまりない、しかも実働は7時間だったから、リハビリくらいのつもりだったんだよ。

 

最初は本当に辛かったな。名刺の渡し方も知らなかった。電話の出方もわからなかった。酷い30歳だったな。当時は事務の男性社員は初めてだったから、何をすればいいかよくわからなかった。とにかくやれることを探しまくって、やった。イジメみたいなものにもあったな。それで調子も崩して、薬は増えてったんだ。

 

それからも、経営との仕事の考え方の違いは度々あって。何とかうまく折り合いをつけてきた。それが限界を迎えたのだな。

 

3年目には管理職になって。マネジメントももう4年になるか。海外営業の兼任も、もう2年だ。その間には色んな業務があったな。何億という取引の商談や、不動産関連も経験して。上場企業の本部の方ともやり取りをしたんだな。不思議だな。

 

色んな経験できたことは良かった。自信を持とう。

 

思えば、嫌なことや納得のいかないことが沢山あった。でもそれは経営にではなくて、従業員に対してばかりだった。今年になって、今まで理解しようとしてきたことが、容認できなくなった。経営者なんて、普段は遊んでるだけくらいが丁度いいと思ってた。途轍もないプレッシャーがあるだろうから、本当に大切な時以外は楽をしてもらいたいと思っていた。でも、本当に大切な時に、向き合おうとしなかった。それで問題が起こった時に、当たり散らすようなことしかしなかった。底を見た気がした。期待をし過ぎたんだと思う。隠し持った器に、少なからず期待をしてしまっていた。信頼していたのだ。だけどそれは違った。

 

少なくとも自分は経営者ではないから、考え方が合わなくても折り合いをつけて働いてくることはできた。でも、あまりにも根本から違ったら、それはもうそこで働けないことを意味する。会社を良くしていこうという考えと、会社が良くなればいいなという考えの違いだ。

 

したい仕事よりそうでない仕事ばかりが増えて、したい仕事は会社にとってあまり重要視されていないことだった。それだけでも充分に転職する動機になる。

 

留まりたかった理由は、尊敬する先輩がいたこと、その人といたら自分が成長できるように感じていたこと。その人に認められたかったこと。それが1つ。これについては諦めがついた。どんなに自分が成長しても、あの人は自分を認めない。一緒に働く将来がないのなら、もっと成長のスピードをあげられる仕事を選びたい。これについては解決した。

 

あと、ローンを組むまで辞められなかった。これはあと3ヶ月もすれば片がつく。これも解決。

 

拾ってもらった恩。これはもう考えなくて良いな。使い捨てだったんだから。解決。

 

慕ってくれるみんなを置いていくこと。各々頑張れ。解決。

 

次の仕事への不安。仕事はある。どこでも通用する。通用する為に一生懸命やる。見つからないと食っていけないわけじゃない。見つかってから辞めればいい。解決。

 

体調の不安。やってみてから考えよう。今の会社でも相当なプレッシャーを受けてきたし、理不尽なことなんて腐る程あった。我慢できてきたし、体調も良くなってる。最悪すぐ辞めても死ぬわけじゃない。解決。

 

やはり、全て解決している。あとは時期と、次の仕事があるかどうかだな。それまで、自分磨きを再開しよう。

 

こうして、前に進むことを考えていたら、とても心がワクワクする。さぁ。いくぞ。

 

コン

前へ。

コンです。

 

記憶とは厄介なもので、覚えていたいものだけを覚えていられるわけではないのだな。必要なことすら忘れたりするし、その逆もある。

 

歯を磨いたかどうか思い出せないのだ。だからたぶん2回目の歯磨きをしている。まぁいいか。減るもんじゃないし。

 

忘れることができなくて困っていることが多い。切り替えができなくて、ずっと1つのことに囚われてしまったりする。その時その時を生きられる方が健全なのに。

 

久しぶりに穏やかな休日を過ごしていて。心に不安なものがない。こうして過ごしていきたい。離脱症状はもうほとんどおさまっている。もう来なくていい。

 

そろそろ、年末年始の休みをどう過ごすか考えようと思う。ダラダラばかりしてはいられない。次のステージに進むために、少し頑張ろうと思うのだ。

 

来年からは、きっと輝かしい未来が待っている気がする。随分と、前に進んできたから。来年も前に進む。

 

その上で、頑張りすぎないってことも考えておこう。だから年末年始も沢山遊んで充実させる。

 

ゲーセンとかパチンコとか、あまり生産性のないものに時間を使いたいな。懐かしい気持ちになれると思う。映画も沢山見よう。

 

街が忙しない。師走だ。

 

急がなくていいから、前へ。少しずつ前へ行ける気がする。行く。

 

コン

奇跡。

コンです。

 

奇跡は起こらない。嘆いているわけではないけれど。

 

どんなことにも理由があって、それをわからないままにうまくいったことを奇跡と呼ぶというのなら、奇跡はあるのだと思う。でも偶然、何かが勝手に起こることはない気がしている。そう思うからというわけではないけれど、だからこそ頑張ってきたように思う。自分に折り合いをつけるために。

 

そして。それをわかっているから求めないようにしている。それを期待して縋るほど子供ではないのに、割り切れるほど大人でもなかったのだ。いつまで思春期だ。もう更年期だ。

 

奇跡は起こらない。

 

生まれ行く毎日は奇跡だろうか。何千何万と失われていく生命と比べるとそうかもしれない。心臓が動き続けることはそうかもしれない。それは極論だ。極論で考えて納得できるようなことなら考えはしないのだ。意味がないことは考えなくて良いのなら、それで良いのだ。でもそうではないから。

 

もし、奇跡の定義が自分が定義した上述のようなものであるならば、奇跡を自らの手で起こしてきたと言っても過言ではない。でも、それも極論。

 

詰まる所、極論を持ち出せば何でも納得できるようで、何故か何も納得できなくて、最早そのことこそが奇跡なのかもしれない。そんなことを考えている。

 

もしも奇跡は起こすものなら、起こった奇跡が起こしてきたものなら、自分はこれからも奇跡を起こし続けていける自信がある。それは奇跡ではなく、能力だろうか。運だろうか。周りの誰かのお陰だろうか。運も実力のうち。それも極論。

 

読み返してみると接続詞の使い方もおかしくて何も論理的でない。

 

だって、歌番組で奇跡は起こらないって歌詞の曲を聞いて思いついただけだから。そんな程度でうまく書けるような気がしてたのに。

 

奇跡は起こらない。

 

コン