離脱症状、絶対に脱出ブログ

精神疾患で薬を服用。快復に向かうも今度は離脱症状に苦しむ。絶対に脱出して元気になる、なりたい人の希望になりたいブログです。

元気になりたい。

コンです。

 

息苦しさで眠れない。眠る瞬間に息が止まる感じがして起きて、心臓がドクドクいったり。して。背中から胸の痛みで起きたりしている。

 

何より悪いのは心だ。体調が悪いことに引きずられて、前を向けない。また病気のことを調べまくって、心臓病とか癌とかを疑ったりしている。本当に辛い。

 

こういった症状が出ると、優しいものを思い出す。家族や友人だ。今までもらった温かい言葉を思い出す。大丈夫、大丈夫と、言ってくれる。心配してくれる。思い出すと涙が止まらない。

 

どうか、何もありませんように。また元気になれますように。

 

コン

3つのイチゴ。

コンです。

 

1月22日から。もう平気で息ができない。昨日今日はずっと泣いてた。久しぶりだな。久しぶりに離脱症状戻ってきたかな。おかえり。

 

随分体調が悪い。心調も悪い。

 

沢山、苦しいことがあった。

 

母が心配だった。兄弟が手術に来てくれないことが不満だった。自分ばかり何かに対応して、でも母は悪くないからと思うことが嫌だった。仕事でも、自分ばかり変な役割をするのが嫌だった。なのに評価されないことも嫌だった。言えなかった。感謝していることが沢山あるから、不義理をするようで言えなかった。

 

自分は子孫を残せないから、生物学的に無理だから。精一杯、誰かに何かをしてあげたかった。本当は結婚したかった。本当は子供が欲しかった。でも異性を好きになれなかった。努力してもできなかった。だから姪や、子供達に何かを教えてあげたかった。後輩たちに何かをしてあげたかった。

 

きちんと生まれてこれなかったから、せめて親にだけは返したかった。でも父はそれを叶える前に居なくなった。もう返せる人は母しかいなかった。母が手術を受けて、無事に終わって。安心したはずだった。

 

なのにその直後。息ができなくなった。眠れなくなった。でも心配かけたくなかった。

 

なんでこんな体いうこときかないの、なんで自分のことばかり考えてしまうの。なんで涙ばかり出るの。なんで誰かのためになんかできないの。

 

沢山してもらったのに。まだしてもらってる。上司は、いつも心配してくれる。何年休んでも戻ってきたらいいと言ってくれる。義兄がビール飲もうって言ってくれた。姉も何も言わないけど心配してくれてる。姪が飴をくれた。

 

母が。イチゴを持って帰りなさいといった。明日から出張で腐らせるからいらないと言った。母に食べて欲しかった。だけど、明日の朝、3つ食べなさいと持たせてくれた。3つ食べるだけで元気になるから、と。イチゴくらい買えるんだ。だけど、この3つのイチゴは、自分にとって、とっても大切なもので。

 

元気になる。必ず元気になる。また元気になって、沢山してくれたみんなのために、沢山できるようになりたい。必ず、なる。

 

必ず、元気になる。

 

コン

 

思い返す離脱症状。

コンです。

 

何となく、離脱症状を思い返してみる。このブログを読み返すと、どれだけ辛かったのかがよくわかる。離脱症状はほぼ全て消え去った。何かを離脱症状のせいにすることは今はもうない。随分と時間がかかったけれど、脱出できたんだな。長かったな。

 

次から次へ体調は悪くなるけど、変な感じじゃない。ただの風邪とかだ。

 

これから。昔の辛かった離脱症状を毎日少し思いかえそうと思う。そしてまだ離脱に苦しむ人の支えになれることがあるかもしれないから、このブログはタイトルも変えずにひっそり続けようと思う。

 

離脱症状がなくなったからといって書かなくなったら、やはりダメだったのかなって読んでくれてる人が不安になるかもしれないから。

 

少しずつ、明日から思い返す。元気です。

 

コン

病気やケガばかり。

コンです。

 

いつの間にかすっかり2018年は行ってしまって。激動の年始を送っている。相変わらずのケガと病気。いつまで続くやら。

 

まず、あれだよ。昨年11月25日から鼻声が続いている。最初はさ、鼻声なだけだと。ちょっとかっこいいじゃないか、と。調子にさえ乗ってた。2週間経って治らなくて、不安になって耳鼻科へ。4日ほどで治ると。念のため1週間と。へいへい。飲むよ、薬飲む。まぁいつも通り治らないよね。で、もう1週間。治らないよね、案の定。で、薬を変更。12月末から現在1月28日。かれこれ1ヶ月。治らない。セカンドオピニオン。顔面にね、膿が溜まってまして。副鼻腔炎と。3ヶ月。これには参った。鼻水も出ないからよくわからなかったけど、しんどいな。色々調べて、鼻うがいとなた豆茶ですぐに良くなってきた。このまま続ける。

 

で、骨折。12月12日。右手小指を剥離骨折。4週間固定後、これで受診は終わりです、と。いやいやいやいや。指、伸びないけど。リハビリとかなしですか?リハビリテーション科は名前だけですか。セカンドオピニオンする。もう治らなかったら仕方ない。

 

次。母の胆嚢炎手術の心配で不眠に。心配事が重なると良くないな。

 

で、今。発熱。なんだこれ。インフルエンザではなさそう。37.7度。背中痛い。次は何の病気だよ?ただの風邪かな。

 

怖い。もう、精神的にも疲れてしまった。元気になりたい。

 

でもきっと良くなる。離脱症状も良くなったんだから。ぶり返してもすぐ取り戻せるようになった。

 

今だけ。きっと良くなる。悪い風に考えない。前を向く。

 

コン

メリーじゃないよクリスマス。

コンです。

 

忘れていた。聖なる日らしいね。すっかり忘れて、昨日は酔っ払ってて、起きたら髪を切ろうと思いついて。行ったよね、朝から。なんか今日はカップルが横に広がって歩いてるし、トイザらスの袋下げた家族が沢山いるなと。

 

そんなノーマークの中から、まだ2回目でアウェー感満点の美容院で聞かれたよね。これからデートですか?って。

 

なわけねええええ。

 

断じてない。たとえその予定があったとしても当日に髪を切るようなマネをする輩でも断じてない。もうそっからは帰りたい帰りたいすぐに帰りたいと思って、いや念じてるわけで。

 

今日、パスタを食べようと思ってたのをやめた。ラーメンにした。ら、ここにもカップル。いやいや、ここは違うぞ?わかるな?こちらだって遠慮して食べたくもないラーメンをパスタの代わりに食べに来てんだよ。パスタ行けよ。といいたいところをぐっと飲み込んで、ラーメンもズルッと飲み込んで足早に帰宅。

 

思えば今年は病気やケガばかりだった。後遺症だって指には残った。年末に骨折してるし、副鼻腔炎だってもう1ヵ月治ってない。盲腸もしたし、海外旅行は2回キャンセル、それでも去年よりはマシだ。

 

平成最後のクリスマスだけど、平成最後の年越しだけど、ひどいコンディションだけど。メリーじゃないけど。生きている。テレビを見れている。ごはんを食べられる。それでいい。いろんなことに感謝したい。

 

今日。靴下を枕元に置いておくから、どうか折れない心か、支え合えるパートナーか、一生暮らせるだけの現金が入っていますように。頼んだよ。

 

コン

素晴らしき毎日。

コンです。

 

どうやっても毎日は続く。イライライライラしている。何もうまくいかない。息をしてても悪いことが起こりそうなほど、つまづいている。

 

大切な人を大切にできない病気は今も続いている。大切な人は自分から近づいておかなければ離れてしまうことも、本当はわかっている。どんなに大切にしても、大切にされないことの方が多いことも経験上わかっている。大切な人を大切にできないのに、大切にしていると考えているというジレンマをどう解消しようか。

 

本当はもうどうだっていい。

 

いや、ね。今世は流石に諦めがついている。だけどほら、来世の魂に向けて。

 

そんなこと考えてたら、骨折した。もう呪われてるようにしか思えないな。だけど、生きてて、笑える。それだけでも心は随分強くなったから良かった。

 

呪いなんてないと、きっとあの人はバカにするように笑うだろう。それをきっと心から信じられるのだろう。だから明日から素晴らしい毎日がまた始まると思えるんだ。

 

コン

あした。

コンです。

 

色んなことを、まだ他人に整理して話せる程は心の中は吹っ切れていない。悩んではいないし、落ち込んでもいない。腹立たしさも悲しさも、時間が薄れさせていって、きっと忘れさせていく。繰り返さないように、忘れないように毎日を生きている。人を恨んだり、憎しみを刻みつけて毎日を過ごしている。

 

明るさとは裏腹に、全てのことに諦めがついたり、諦めがつかないことを憎んだりして、辛うじて自分を保っている。

 

驚くべきことは、恨み辛みが去った今でも、同じように環境を変えたいと思っていることだ。喉元過ぎれば暑さは忘れるものだと思っていた。

 

他人の目にはとてもキラキラした人間のように映るのだろうか。本当はとても陰惨だ。

 

仕事を大切にしてきた。家族を大切にしてきた。友達を大切にしてきた。大切な人を愛していた。その実、大切にしてきたのは自分自身だ。

 

自分のしたいことだけを優先させてきた人生だったけれど、その意思決定に他人が関わらないことはあまりなかった。

 

自分で決めれば後悔しないから、全部自分で決めてきた。でも結局は他人の為にそれを選んだことが沢山あった。

 

諦めないといけないことが沢山あった。悲しいことや悔しいことが沢山あった。他人に優しくしてこられたのは、自分が傷つきたくなかったからに他ならない。それでも懸命に生きた。

 

これから何を諦めても、何を棄てても、果たして誰が何をせめようか。

 

生きている。それ以外に果たすべき責務など、人間にあるだろうか。そんなことを考える日も、前を向かなきゃいけないだろうか。

 

今日はとても良いことがあったのに、何もかも懐疑的な気分になるのはなぜだろうか。一体いつからこんな荒んでしまっただろうか。

 

明日は晴れて、少し寒くて。明日は笑えるだろうか。そんな明日明日を、これからずっと続けていくのだろうか。

 

重い。

 

コン