離脱症状、絶対に脱出ブログ

精神疾患で薬を服用。快復に向かうも今度は離脱症状に苦しむ。絶対に脱出して元気になる、なりたい人の希望になりたいブログです。

笑顔で生きること。

コンです。

 

ここ数日で色々学んでいる。まず、自分は病院や薬に頼りすぎているということ。どんな薬も、あまり効果はないらしい。確かに、鬱の薬で良くなった気はしなかった。外からのウイルスなんかには必要なんだろうけど、内部のものは食べて寝れば治るんだろうな、ということ。

 

食べる、動く、寝る。動物だってそうだ。鳥は自由かとか、野良猫と飼い猫はどっちが幸せかとか、本人(?)は、考えてない。生きることを懸命にしているだけだ。つまり、余計なことは考えず、食べる、運動する、働く、遊ぶ、寝る。これに集中すれば良い。

 

今日は珍しく母と長電話をした。母は25年程前、過呼吸で倒れ、動悸や息切れで苦しんでた。まだ中学生だった僕は、母はもう長くないんだと思ってた。起き上がれない日も沢山あった。当時はインターネットなんかないから情報もなくて、きっと母は不安だったと思う。ストレスと言われたみたいだけど。今で言うパニック障害だったろうな。あとは坐骨神経痛も酷くて。大変だったろうな。それでも、今も元気で生きてる。どんな病気も治るから大丈夫と言っていた。実証してくれてるんだな。有難い。

 

父の話もした。昔は嫌いだった父が、今は愛おしくて仕方ない。冬になると足を痒い痒いと搔いてた。乾燥かな。汚いなって子供たちは言ってたけど、自分も同じところ、ふくらはぎが乾燥してきて痒い。似てきたな。

 

父は可哀想なニュースをあまり好まなかった。感動するような、子供が頑張ってるテレビも、悔しがって泣いてるテレビも、あまり見なかった。思えば、泣くのが嫌だったんだろうな。初めて飼った猫が死んだ後、また猫を飼いたい子供たちに、あんな悲しい思いをするのはもう嫌だと言った。父は本当はとても気の優しい人だったと母が言っていた。僕ら子供は、母が優しいのだと思ってきた。でもたぶん、2人とも優しかったんだと思う。父は母より特別気が優しくて、気が弱かったんだと思う。子供たちみんな気の優しいところは、お父さんに似てると言っていた。そんな僕も、悲しいニュースを見られなくなった。すぐに泣いてしまうから。似てきたことがとても嬉しい。

 

これからは、あまり何も考えずに生きたいと思った。人のことも、自分のことも。体の不調もいつか消える。だから、少しずつ薬は飲まないようにして、病院にもなるべく行かないようにする。本当に行かないといけない時は、盲腸の時みたいにおかしいとわかるはず。もうあまり、病気のことは考えたくない。そんな人生、面白くないし。

 

ずっと体調悪いことばかり気にして、早く元気になりたくて、努力してきた。でももう、いいや。自然に。なるべく自然に生きたい。あるがままを受け入れて。体調悪い自分も自分だ。

 

精神疾患を経験して、辛い時期を長く過ごした。10年。いいことがなかったように思えた。周りはみんな結婚して、子供できて、幸せそうだったから。でも自分の幸せは、他人と比べても仕方ないし。辛い時期があったから、自分なら今の不調くらい乗り越えられると思いたい。病気も、離脱症状も。乗り越えてきたから。なんてことない。辛い思いをしたから、他人に優しくなれたと思う。優しく出来ると思う。人生において、これは大切なことだと思う。

 

家族はもちろんだけど、今の自分には大切にしてくれる人が沢山いる。毎日毎日見てくれた整骨院の先生。いつも明るくて、本当に元気になれる。職場の人も、嫌な人ばっかりな中で、社長は何年休んでもいいと言ってくれた。好きな人も、信頼できる人も増えた。有難い。仕事の心配がないのは本当に安心だ。いつでも電話してください、夜中でも、と言ってくれた人たちもいる。家族もいる業者さんや、昔好きだったアパレル会社の経営者だ。僕をスカウトしてくれた社長さんも、飲み会何度もドタキャンしてもまた行こうと言ってくれる。こんな有難いことはない。甘えて生きてる。今までならダメだと思ってたけど、これからも甘えたいと思う。必ずどこかで。返せる日がくるから。

 

今だって体はおかしいけど、そのままでいく。体調おかしい自分を、精一杯いたわって、精一杯愛してあげようと思う。沢山学んだことがあって、沢山叶えたいことがあるから。自分を愛したい。

 

沢山の辛いことを許して、愛して、残りの人生を笑顔で過ごしたい。ありがとう。

 

コン