離脱症状、絶対に脱出ブログ

精神疾患で薬を服用。快復に向かうも今度は離脱症状に苦しむ。絶対に脱出して元気になる、なりたい人の希望になりたいブログです。

奇跡。

コンです。

 

奇跡は起こらない。嘆いているわけではないけれど。

 

どんなことにも理由があって、それをわからないままにうまくいったことを奇跡と呼ぶというのなら、奇跡はあるのだと思う。でも偶然、何かが勝手に起こることはない気がしている。そう思うからというわけではないけれど、だからこそ頑張ってきたように思う。自分に折り合いをつけるために。

 

そして。それをわかっているから求めないようにしている。それを期待して縋るほど子供ではないのに、割り切れるほど大人でもなかったのだ。いつまで思春期だ。もう更年期だ。

 

奇跡は起こらない。

 

生まれ行く毎日は奇跡だろうか。何千何万と失われていく生命と比べるとそうかもしれない。心臓が動き続けることはそうかもしれない。それは極論だ。極論で考えて納得できるようなことなら考えはしないのだ。意味がないことは考えなくて良いのなら、それで良いのだ。でもそうではないから。

 

もし、奇跡の定義が自分が定義した上述のようなものであるならば、奇跡を自らの手で起こしてきたと言っても過言ではない。でも、それも極論。

 

詰まる所、極論を持ち出せば何でも納得できるようで、何故か何も納得できなくて、最早そのことこそが奇跡なのかもしれない。そんなことを考えている。

 

もしも奇跡は起こすものなら、起こった奇跡が起こしてきたものなら、自分はこれからも奇跡を起こし続けていける自信がある。それは奇跡ではなく、能力だろうか。運だろうか。周りの誰かのお陰だろうか。運も実力のうち。それも極論。

 

読み返してみると接続詞の使い方もおかしくて何も論理的でない。

 

だって、歌番組で奇跡は起こらないって歌詞の曲を聞いて思いついただけだから。そんな程度でうまく書けるような気がしてたのに。

 

奇跡は起こらない。

 

コン

生きる意味。

コンです。

 

心の調子は良くないけれど、やり切れる気がしている。だって何度も乗り越えてきたから。 

 

目標に向かって、前を向いて歩ける気がしている。その道の途中で、向かう方向が変わってもいいと思っている。ゴールは1つで、その道すがらには何かがあって、どの道を通っても問題はない。

 

詰まり、楽しく暮らす。

 

それだけがゴールで、そこへ向かって進んだり立ち止まったりする道中が、詰まる所、生きている意味なのだと思う。

 

今。という一点に目を向ければ、仕事も家庭も恋愛もうまくいかず、お金もキャリアもなく、鬱と拒食症だった頃より随分進んだ。営業も、事務も、企画もできるようになって、海外だって簡単に行けて、英語で商談もできる。それでも満たされないのだから、まだ先があるのだろう。広い世界に目を向ければ、まだまだひよっこだ。

 

向かうところがあるからこそ、また生きようと思えるのだ。まだまだ終わらせられない。

 

少し前までは離脱症状が酷くて、そんなことも考えられなかった。これは進歩と言っていいのではないだろうか。

 

少しずつ、少しずつ。生きる意味はそうやって見つければいいのだ。

 

コン

邪魔くさい。

コンです。

 

平日は早く週末になって欲しいのに、週末になると悲しい、虚しい気分になるのは何だろうか。このままじゃ、年末年始の連休は酷い状態になりそうだな。週末うつ、とかいうやつだろうか。

 

確かに、家にひきこもっていると、虚しくなったりする。だけど、もう何だかんだ疲れていて予定を入れる気にもならない。どうしよう。別にどうもしないか。

 

精神疾患に関しては色々と調べて、注意事項もよく心得ているつもりだ。規則正しい生活、健康的な生活を心がけたり、ストレス発散したり。知ってはいる。しかし、ルールが多すぎる。結果、もうわけがわからないから全部無視する。ストレス発散だって、何をしても楽しいと感じないのに、何をもって発散なのか、とか、余計なことばかり考えて、全く意味がない。

 

それに、時間さえあれば不安な要素を頭に浮かべて、どうやって解決するかばかり考えている。仕事のこと、人生のこと、お金のこと、健康のこと。

 

考えるの、面倒。

 

ああ、全部邪魔くさい。昔からだけど。もうやることなすこと、やらないことなさないこと、全部邪魔くさい。ごはんもトイレも邪魔くさい。一度無になりたい。

 

でもまぁ。そんな自分もいいか。みんなそんなもんかもしれないし。

 

邪魔くさいことさえ邪魔くさいんだから、もうどうにでもなあれ。

 

コン

不謹慎。

コンです。

 

仕事に失敗はつきもの。というのはわかるけど、余りにも酷い。明日は謝罪することが沢山ある。仕事には謝罪もつきものだ。

 

落ち込むんではなく反省して次回に繋げる。それが大事と言い聞かせてやってきたけど、それすらも甘えだったような気がするな。

 

なるべく完璧な仕事をしたい。その時その時において最高の仕事を。できていない自分に嫌気がさしたりもする。いつになったらすごい人になるんだろうか。

 

問題が起こるから、それに対処する仕事が生まれて自分は食っていけてるんだけど、自分の部署のミスで問題が起こるのはいけない。良くない。

 

何の申し開きもないから真摯に謝って、1番良い対応をしよう。こんなんでよく管理職なんて言えたな。もう下ろしてください。無理ですかね。無理ですよね、人いないし。他の誰かなら、もっときちんとできる気がするんだけど、選んでもらったんだからそんなこと言えない。言えないよ、好きだなんて。ひろみGO。

 

ああ。不謹慎だ。こんなことしたのに、なんかもう、何かもう、何でもかんでもどうだっていい。もう全部いらない。ミスター不謹慎。

 

テレビに出てるこの人達は、どうやってこんな元気なんだろう。分けて欲しい。全く元気なんてない。

 

もう寝よう。寝ると元気になれる気がする。しばらく目覚めなくてもいい。眠り姫になりたい。

 

たとえ王子に起こされなくとも。

 

コン

より良い社会。

コンです。

 

誠実に対応すれば必ず報われるわけではなくとも、誠実に対応した事実は自分にとってかけがえのない事実だということを実感するような日。

 

恐れず、勇気を出して正しいことを選択しようとした結果が好転反応を起こすこともあるのだな。

 

時に、人は迷う生き物だ。その多寡は人それぞれだろうけど、ゼロや100の人はそうはいないだろう。

 

その時その時。自分が正しいと思うことを選ぶ。その1つ1つが、正しい結果を生むし、選ぶ活動自体が人生にとってとても大切な意味を持つのだろう。

 

真実とは、そこにあるものではなく、選び取る活動の中でこそ生まれ行くものなのだと思う。

 

逃げずに向き合って良かった。少しの勇気で変えられる事実があった。

 

自分も含め、みんながそれを選べる社会がいつかできたのなら、それはとても素晴らしいのかもしれない。損得勘定だけで動くのが資本主義の本質かもしれない中で、未来に残すものを選ばなければならない。

 

その結果は生きてる内に見られないかもしれないけれど。

 

そんなことを思いながら、またシュークリームに手を出す。こんなことだって、正しい社会を作る為の一歩なのだと言い聞かせて。

 

2つ目を食らう。

 

コン

その日暮らし。

コンです。

 

愛情が裏返った後は、とても嫌いになる。みたいなことを書いた途端、上司がとても嫌がらせのような態度で接してくる。おはようございますに対して、別に早くない!いつも通りだろ!と叱られるレベルの酷さ。

 

そんなことを数週間続けている。

 

一方、怒り一過のこちらはというと、怒る意欲も失くしてしまい、転職までは精一杯会社の為に働くことと、自分の為になることを半々くらいに考えて働こうと思っている。仕事に対してなら反省も改善もするけれど、そうでないものだけは流してしまおう。上司だって人間だから機嫌の悪い日だってある。自分より数万倍大きなプレッシャーやストレスがあるのだろうな、経営者ともなると。そういうことも考慮しないとな。

 

管理職の仕事は上も下も働きやすいようにすることなんだろう。こんなこと、今更だけど。

 

世間の同年代は、きっとこういったことはさらーっとやってのけて、自分の仕事に邁進してるのだな、と思うと、自分の力量のなさに嫌気がさしたりもする。でも諦めない。そこは伸び代だと思って。

 

良い経験をしている。

 

とにかく今年はあと17日。出勤する。何とか乗り越える。その時その時を、結果がだめでも乗り越える。時間が解決することもあるだろうから。

 

そんなその日暮らしで良いのかは別として。とりあえず生きる。

 

コン

空想。

コンです。

 

ブログのタイトルを変えようと思っている。暗い。とか。辛いとかに。嘘です。

 

怒りか悲しみかよくわからない感情の腹癒せに、何かをできるようになりたい。やけ食いとか。やけ酒とか。して、すっきりするなら。大体、後悔するだけだからしないんだけど。

 

誰かの怒りの鉾先になるのは通常営業の範囲である自分らしい毎日。消えてしまえと思う。二フラム。でも愚痴るだけ愚痴ったし、もういいや。

 

Zガンダムを1話から見直してる。本当によくできた作品だな。これが数十年前に描かれたとは。素晴らしいとしか言いようがない。未だ人類の叡智はそこに追いついてないのだから、人の空想力は侮れない。

 

空想力。今日、英会話で、昔はイマジネーションすごかった?って聞かれた。いや、正確には聞かれてた気がする。昔はよく空想して遊ぶ子供だった。最近は妄想はすれど、空想はしない。変わってしまったんだな。良くも悪くも。

 

今も空想で遊べたらとても楽しいかもしれない。先人の跡を追って、学習して、仕事して。それだけで生きようとして、今ここだ。そんな人達の足元にも及んでない。

 

楽しいことは自分で見つけ出す。その為に生きることは、夢だと言ってもいいのではないだろうか。

 

いつか、4次元ポケットが現れるその日まで。

 

コン